あれは三十二歳の冬のことでした。朝、何気なく枕元を見ると、そこにはこれまでに見たことのない量の髪の毛が散らばっていました。最初は「季節の変わり目だからかな」と軽く考えていましたが、シャンプーをするたびに手に絡みつく黒い毛束、ドライヤーの後の床に落ちる大量の髪を見て、背筋が凍るような思いをしました。鏡で見る自分の生え際は心なしか後退しているように見え、まだ独身だった私は「このままハゲてしまったらどうしよう」という強烈な不安に襲われました。父も祖父も薄毛の家系。遺伝だと諦めるにはまだ若すぎる。そう決意した私は、その日から自己流ではない、徹底的な抜け毛予防生活をスタートさせたのです。まず着手したのは食生活の改善でした。それまでの私は、仕事の忙しさを理由にコンビニ弁当やラーメンばかり食べていました。これを改め、高タンパク低脂質の食事を心がけました。朝は納豆と卵、昼は定食屋で焼き魚を選び、夜は自炊で野菜炒めを作る。お酒も控え、大好きだったスナック菓子は一切断ちました。次に変えたのは睡眠です。深夜二時までゲームや動画を見ていた悪習を断ち切り、十二時には必ず布団に入るようにしました。そして、シャンプーもドラッグストアで一番安いものから、頭皮に優しいアミノ酸系のスカルプシャンプーに変更し、洗い方も美容師さんの動画を見て指の腹で優しく洗う方法を徹底しました。最初の二ヶ月は、正直なところ目に見える変化はありませんでした。むしろ、気にしすぎているせいか抜け毛が増えたような気さえして、心が折れそうになる日もありました。しかし、「継続こそ力なり」という言葉を信じて、淡々と新しい習慣を続けました。変化を感じ始めたのは四ヶ月が過ぎた頃です。いつものようにシャンプーをしていると、指に絡まる抜け毛の量が明らかに減っていることに気づいたのです。さらに、ドライヤーで乾かした後の髪の根元がふんわりと立ち上がるようになり、以前よりも髪にコシが出てきたのを実感しました。半年後には、美容師さんから「頭皮の状態がすごく良いですね、赤みがなくて青白い健康な色をしています」と褒められ、心の中でガッツポーズをしました。この体験を通じて私が学んだのは、抜け毛予防に魔法のような即効性はないということです。しかし、生活習慣を正し、体に良いことを積み重ねていけば、体は必ず応えてくれるということも確信しました。遺伝だからと諦める必要はありません。今日からの行動が、五年後、十年後の自分の髪を決めるのです。あの時、枕元の抜け毛に恐怖を感じて行動を起こした自分に、今の私は心から感謝しています。